本日日勤。
2連続休日日勤でございます。
通常は3人勤務で行う
休日日勤。
8月から9月にかけて
異動・中途採用含め
人がドッと増えたことにより、
“仕事を教えるまたは覚える”
という名目のもと、
現在は4人勤務で行われております。
故に今までよりはラク。
なハズが、
決してそうでもないのは何故・・・
まぁ、うちのセクションは
絶対的に暇を持て余せるような、
そんな部署ではないのは確かですが。
そこはおそらくこれから先も
変わりませんが。
それでも定時に
つつがなく業務を終えられているのだから
よしとしましょう。
でも、そんな中でも
趣味はやるのです。
やるったらやるのです。
“暇はつくるモノ”。
いくつもある私の
持論のうちのひとつ。
ちなみに持論がいくつあるかなんて
数えたことはありませんよ。
そんなことしても無意味だから(笑)
話は変わりますが。
今日はどうやら敬老の日なようで。
前から疑問だったのですが。
敬老の日って、
何する日ですか・・・
“敬”・“老”。
字面でいくと
老いたモノを敬う日、だろうか・・・
そんな日必要ですか。
老いたモノを先人と捉えるなら、
そこは常に敬っとけよ、と。
わざわざ一日ぽんと
祝日作って
イベント的にしたって、
そこに何の意味があるのでしょうね。
TVで誰かが言っていました。
“老人だからって
ただそこにいるだけで
敬えって言われても・・・”。
敬えよ・・・
敬意くらいははらえよ。
そこにいる、ということは
生き抜いてきた、
ということなんだから。
もちろんヒトとしてとらえた時に、
人格的に
“コイツどーよ・・・”と思う人は
少なからずいますが。
それらは基本的に
反面教師ということで。
今の世の中、
本当に生きづらい世界だと思う。
でも、じゃあ今でなければ
生きづらくはなかったのかと。
そんなのわからない。
現代日本でだって
生きづらさなどまったく感じずに
生活している人だって、
それはそれでいるだろうし。
逆にいつの世でもきっと
生きづらさを感じていた人間は
少なからずいるのでしょう。
だったら。
私たちより年配の人々は、
その数々の時代を
“死なずに生存して
とにかく生き抜いてきた”人々だ、と。
自分自身が生きづらさを感じていた時代も、
私たちが生きづらいと思っている現代も、
生き抜いている人々。
“ただそこにいるだけで”、
ただその存在だけで、
十分敬意の対象ではないかと
思ってしまったりしています。
本来わざわざ
設定する必要なんて
きっとないんですよね。
敬老の日も。
父の日も。
母の日も。
こどもの日も。
という、これも
私の持論のひとつではあるのです。
思いこむと激しいタイプだったりもするので(笑)
“成人式”に納得がいかなくて、
式への出席どころか
振袖だとか写真だとか
そういういわゆる成人式らしいものを
まったくひとつも
やらなかった人なので。
むしろ、今やっと
成人式をやりたいくらいの感じです。
振袖で写真撮影とか、
やってみようかな(笑)
2連続休日日勤でございます。
通常は3人勤務で行う
休日日勤。
8月から9月にかけて
異動・中途採用含め
人がドッと増えたことにより、
“仕事を教えるまたは覚える”
という名目のもと、
現在は4人勤務で行われております。
故に今までよりはラク。
なハズが、
決してそうでもないのは何故・・・
まぁ、うちのセクションは
絶対的に暇を持て余せるような、
そんな部署ではないのは確かですが。
そこはおそらくこれから先も
変わりませんが。
それでも定時に
つつがなく業務を終えられているのだから
よしとしましょう。
でも、そんな中でも
趣味はやるのです。
やるったらやるのです。
“暇はつくるモノ”。
いくつもある私の
持論のうちのひとつ。
ちなみに持論がいくつあるかなんて
数えたことはありませんよ。
そんなことしても無意味だから(笑)
話は変わりますが。
今日はどうやら敬老の日なようで。
前から疑問だったのですが。
敬老の日って、
何する日ですか・・・
“敬”・“老”。
字面でいくと
老いたモノを敬う日、だろうか・・・
そんな日必要ですか。
老いたモノを先人と捉えるなら、
そこは常に敬っとけよ、と。
わざわざ一日ぽんと
祝日作って
イベント的にしたって、
そこに何の意味があるのでしょうね。
TVで誰かが言っていました。
“老人だからって
ただそこにいるだけで
敬えって言われても・・・”。
敬えよ・・・
敬意くらいははらえよ。
そこにいる、ということは
生き抜いてきた、
ということなんだから。
もちろんヒトとしてとらえた時に、
人格的に
“コイツどーよ・・・”と思う人は
少なからずいますが。
それらは基本的に
反面教師ということで。
今の世の中、
本当に生きづらい世界だと思う。
でも、じゃあ今でなければ
生きづらくはなかったのかと。
そんなのわからない。
現代日本でだって
生きづらさなどまったく感じずに
生活している人だって、
それはそれでいるだろうし。
逆にいつの世でもきっと
生きづらさを感じていた人間は
少なからずいるのでしょう。
だったら。
私たちより年配の人々は、
その数々の時代を
“死なずに生存して
とにかく生き抜いてきた”人々だ、と。
自分自身が生きづらさを感じていた時代も、
私たちが生きづらいと思っている現代も、
生き抜いている人々。
“ただそこにいるだけで”、
ただその存在だけで、
十分敬意の対象ではないかと
思ってしまったりしています。
本来わざわざ
設定する必要なんて
きっとないんですよね。
敬老の日も。
父の日も。
母の日も。
こどもの日も。
という、これも
私の持論のひとつではあるのです。
思いこむと激しいタイプだったりもするので(笑)
“成人式”に納得がいかなくて、
式への出席どころか
振袖だとか写真だとか
そういういわゆる成人式らしいものを
まったくひとつも
やらなかった人なので。
むしろ、今やっと
成人式をやりたいくらいの感じです。
振袖で写真撮影とか、
やってみようかな(笑)
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